浄土真宗の教義について

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●No.130
初心
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[ 1486 ] 素直な質問 2009/05/06 (Wed) 13:28 △up ▽down
毎日様に質問です。
この掲示板は、仏教の中の、一宗派である浄土真宗の中だけの議論であると推察致します。極楽や報土の抽象的な教義はわかりませんが、展開されている毎日様の論理性は好きです。

私には、仏教は人の心を救ってくれるものだという漠然とした思いがありますが、毎日さんは、仏教には、誰にとっても共通する正しい教え(宗派)がある…(真実は一つ)とお考えでしょうか、それとも、ある人にはAという教えが正しく、また別の人にはBという教えが正しい、というものでしょうか。
世間にはいろんな宗派があるようで、私にはわからないので質問させていただきます。
平易な言葉でお答えいただけるとうれしいのですが…

●re.1
毎日
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[ 1487 ] Re1:素直な質問 2009/05/06 (Wed) 17:14 △up ▽down
初心 様

「正しい」というよりも、「しっくり来る」のような捉え方で考えれば、良いのではないかと思います。

Aさんにとって「しっくり来る」教えと、Bさんにとって「しっくり来る」教えは、異なることもあると思います。

そして、その「異なる」教えも、もっと大きな観点から見ると、ひとつのものになっているというのが仏教の構成であると思います。

「しっくり来る」かどうかは、とても主観的なものです。

押し付けられても、そう感じないものは感じないのですから、今の自分にとって、しっくりと来て、自身が向上すると感じられる教えを選んでゆけば良いのではないかと思います。

平易なことばで書くように心がけたつもりですが、さらに疑問等ありましたら、遠慮なくお書き込みください。

南无阿彌陀佛

●re.2
初心
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[ 1488 ] Re2:素直な質問 2009/05/06 (Wed) 20:33 △up ▽down
毎日様

最初は自分にとって、好き・嫌いで選んでも必ず最後は同じところにいきますよ、という解釈でよろしいでしょうか。

Aにとってしっくりくる教えと、Bにとってしっくりくる教えが異なれば、そもそも教えの本質が異なることも多いのが現実ではないかと思います。それが、仏教の場合、大きな観点から見るとひとつのものになっているというのはしっくりこないのですが、そこのところをもう少しお話いただけますでしょうか。

それと、掲示板の最後にいつも「南无阿彌陀佛」と書かれて文章を閉じられているのはどうしてですか?

●re.3
毎日
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[ 1489 ] Re3:素直な質問 2009/05/07 (Thu) 00:29 △up ▽down
初心 様

「最後は」というよりも、そもそも、どちらも仏道を歩んでいることになると思います。

Aさんにとってしっくりくる教えも、Bさんにとってしっくりくる教えも、たとえば、仏道であるならば、どちらも抜苦与楽の道を歩んでいます。

つまり、苦しみを減らし、幸せを増やすということでは、同じなのです。

そして同時に、そのための具体的な方法は、ひとりひとり、変わってくると思います。そのために、ものすごくたくさんの教えが出てきているのだと思います。

同じものが、求めるひとにあわせて、その姿が変わって現れてきているわけです。

最後に六字を書いておりますのは、真宗の教えに、「信を獲たなら、御恩報謝のお念仏をなるべくたくさん称えましょう」というものがあります。

これは、信をいただくと、お念仏称えたくなってくるわけです。(その程度には、個人差があると思います。)

私は、仕事場でも、移動中など、南无阿彌陀佛と称えていることが多いです。

ただ、信は秘めるので、まわりの人には聞こえないように、まわりに人がいないときに、かなり小さい声で称えるようにしています。

ふだん文章を書くときにも、南无阿彌陀佛とは書いていません。書きたくなるわけですが、これも自分の気持ちをおさえて、秘めています。

こちらは真宗の掲示板ですので、遠慮なく、〆として書いております。

すべては、六字に収束するという気持ちでもありますし、それを(心の中で)確認しながら、書いているものでもあります。

弥陀への感謝を日々感じ、それをお称えしてゆくことによって、味わいが深まることを実感しております。

そしてこれは、他に共感を求めるようなものではなく、自分の中で、深めてゆくものだと思います。

南无阿彌陀佛

●re.4
初心
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[ 1491 ] Re4:素直な質問 2009/05/07 (Thu) 05:27 △up ▽down
毎日 様

お答えいただきました文中に、「信を獲たなら…」という部分がございますが、どういうことが信を獲るということなんですか?
何か間違いやすい要素がそこにはありそうな予感です。
自分はともかく、自分から見て他人が信を獲ているかどうかということはわかるものなんですか?
心の世界だから見えないと思うのですが…

「南无阿彌陀佛」についてのお気持ちについては何となく理解できました。

●re.5
毎日
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[ 1496 ] Re5:素直な質問 2009/05/08 (Fri) 09:54 △up ▽down
初心 様

「信を獲る」というのは、「阿弥陀様に救われたなあ」と、しみじみ思えることだと思います。

「救われたなあ」と思っていたのが、何かのきっかけで、「あれ、違うのかなあ」と思うこともあると思いますし、そうやって、信も深まってゆくと思います。

どこかで、「これで落ち着いた」という理解があって、「南无阿彌陀佛」それでよいのではないかと思います。

本当に信を獲ているのかどうか、それは、自分のことでも、他人のことでも、わからないと思います。

ただ、感覚的に、「救われている感じがするなあ」「救われていないんじゃないかなあ」と思ってしまう、ということなのではないでしょうか。

南无阿彌陀佛

●re.6
初心
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[ 1497 ] Re6:素直な質問 2009/05/08 (Fri) 23:28 △up ▽down
毎日 様

浄土真宗は一般大衆だれでも救われる道が説かれている、というイメージがあります。
学校の教科書では、「南無阿弥陀仏」を称えるだけで誰でもが救われる、と習ったような気がします。

浄土真宗でいう救いとは、
試験に受かったような達成感でしょうか、
それとも
ケガや病気が治ったような安堵感でしょうか、
それとも、
性的な充足感又は恍惚感でしょうか、
それとも、
迷子の子供が親を見つけてほっとするような喜びでしょうか…

何のために仏教という教えはあるのですか?

●re.7
毎日
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[ 1498 ] Re7:素直な質問 2009/05/08 (Fri) 23:36 △up ▽down
初心 様

浄土真宗には、一般大衆のみんなが救われる道が説かれている、というのは、まさにその通りであると思います。

みんなが救われるから易行と呼ばれます。

ただ、「南無阿弥陀仏を称えるだけで誰でもが救われる」のも、その通りですが、この「称える」というのは、ただ口に出して称えるということではないのです。

浄土真宗における救いというのは、その感覚には、個人差があるだろうと思います。

安堵感でもあるでしょうし、一時的な恍惚感が生じることもあるかもしれません。

その「感覚」を求めるわけではなく、あくまでも、「はるかかなたの昔から、生まれ変わり、生まれ変わり苦しんできた自分が、阿弥陀様がつくられた極楽浄土に救いとられることが定まった」ということに救いがあるのです。

何のために仏教があるのかといえば、初心様のしあわせのためだと思います。

そして、私にとっては、私のしあわせのために仏教があり、私のしあわせには、初心様のしあわせも含まれているのです。

南无阿彌陀佛

●re.8
初心
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[ 1501 ] Re8:素直な質問 2009/05/09 (Sat) 19:46 △up ▽down
毎日様

仏教の目的は、輪廻転生からの救い、ということなんですね。
何だか、人間には「魂」というのがあって、それが生まれ変わりするようなイメージが仏教の生命観なんですね。

「信」を獲て輪廻転生から救われたら、個人差はあるものの、安堵感や恍惚感を伴う喜びがありますよ、ということなんですね。

そうすると、少なくとも、救われた人の場合は、自分が救われているのかどうかははっきりとしているんじゃないんですか?
前回のre.7で毎日様が、
「はるかかなたの昔から、生まれ変わり、生まれ変わり苦しんできた自分が、阿弥陀様がつくられた極楽浄土に救いとられることが定まった」ということに救いがあるのです。

というのが仏教でいう救いなら、それが救われた自分にもはっきりしないというのは何か変ですよね。

しかし、
re.5で毎日様が
「救われたなあ」と思っていたのが、何かのきっかけで、「あれ、違うのかなあ」と思うこともあると思いますし、そうやって、信も深まってゆくと思います。

と書かれていて、この表現では、信は獲るもの、というよりも、深めていくもの、という印象を持ってしまうんです。re.7のお答えとは異なった印象です。
これは何か意図を含んだ初心向けの答え方で、真意は別にあるんですか?

●re.9
初心
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[ 1519 ] Re9:素直な質問 2009/05/31 (Sun) 10:53 △up ▽down
浄土真宗で使われる「偽」と「仮」について教えて下さい。

どのような人が「偽」で、どのような人が「仮」といわれるのでしょうか?

毎日さんは忙しそうなので、言葉に責任の持てる方ならどなたでも結構です。

●re.10
菩提心
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[ 1520 ] Re10:素直な質問 2009/05/31 (Sun) 16:31 △up ▽down
初めまして。

菩提心と申します。

>言葉に責任の持てる方ならどなたでも結構です。

上記のように書かれると、ちょっと躊躇しますが、思ったことでもいいですか?


真宗辞典で調べましたが、「仮」は載っているのですが、「偽」は載っていませんでした。

「仮」・・かりのもの。虚仮、権仮と熟し、真に対す。

「偽」の御言葉は見つかりませんでしたが、私は、ある場所で書き込みをしている時、「偽宗」という御言葉を知りました。

そして、今御縁頂いたところの御著書の巻頭の詞の中に、
大谷光瑞師が光瑞全集第五巻に「曰く、浄土真宗は真宗に非ずして偽宗なり」(他3か所あり)が有りました。

私も又、どのような人を「偽」であり、「仮」なのか良く分かりませんでしたが、でも言葉の意味は分かりませんが、救われたと思っています。


私は以下のような泥凡夫様の優しい語りかけの御言葉を素直に信じて探そうと思いました。

○あくまで有縁の道が己の道でございます。

○一度有縁の道で歩まれるしかないのです。

○聖教を読み、教学されるも、これ有縁の道、そういう道を通らなければならぬ方は、通った後に分かることもございましょう。遠回りせずに十八願に直接入られる方もいらっしゃいます。

○この道は全ての人が救われる道でありますが、一人一人歩く道でございます。こればかりは親子夫婦であろうとどうにもならぬことでございます。急ぎて信を獲れと誰に言われておるか考えて下さい。あなた様お一人に言われておるのです。

○一流は千人の聴聞者を得るよりも、たった一人でも信を頂く人が居る事を尊く思うものでございます。

○身の程知らずで結構。仏法知らずで結構。そのままのあなたで良いのですよ。そのような方こそ十八願の正客です。


私は、私だけに言われていると思い探してきました。

そして、泥凡夫様や毎日様達より、この場所で色々なお話を聞ける身に感謝しております。

初心様のお気持ちとは随分違ってしまったようですが、しかし、今有縁の道を一人歩いて満足しています。

南无阿彌陀佛

●re.11
初心
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[ 1522 ] Re11:素直な質問 2009/06/02 (Tue) 23:38 △up ▽down
有縁の道を通りなさい、とはどういうことでしょうか?

例えば、悲しい知らせを受けて通夜や告別式に行ったら、そのおうちの宗派に沿ったお坊さんが来られてお経を唱えられたり、お経の後に何かお話をされますが、そういう経験を重ねていくことが有縁の道ですか?

でも、葬式に併せてお坊さんが来られて、故人の方の冥福を祈る、というのはもしかしたら「仮」か「偽」かも?


●re.12
菩提心
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[ 1523 ] Re12:素直な質問 2009/06/03 (Wed) 10:36 △up ▽down
初心様

誰か返信して下さっておられるかと思い、今開けてみました。

ここ2、3日開けていませんでした。

難しい説明は無理ですが、でも信心決定すると不思議に御文が読めてくるのです。

ある御著書を拝読させて頂いて、うなずく事が多かったです。

その御著書の内容から少し抜粋します。


○・・・然る時は尋ね行人もなしと見へたり、尋ね行ねば善知識には逢ぬ事也、善知識に逢ずしては往生は叶わずと有ることはくれぐれの御言葉也、能々(よくよく)御思案有るべし。

一人一人有縁の善知識に逢ねばならぬ也。有縁とは其の人に縁ある善知識がある者なり。

如何なる人なるやも、又は子なるやも、主人ならやも、臣なるやも、知己の人なるやも知ぬ也。

知ぬに依て上下を選ばず問べしと仰せ候也。又幾度も尋ねと仰候事は世間の人はただ出家にさへ問ばよき様に思召し候も・・・・


○・・・御掟の趣を違背申さぬ様、命限り相嗜み可申とあり、御掟と申すは彼一念帰命の一流相伝肝要をば、たとへ親子夫婦の間たり共、安心決定せぬ人の前にては内心に深く貯えて沙汰いたすべからずという御掟也、只宿善に任すべし。・・・


○御文の中にも幾所にも宿善、無宿善の二つを分別して勧化を致すべしと仰せられたり、然るに此の数百人の参詣の中には他衆も有るべし、それ御門徒も有るべし。

たとえ内心に深く貯えて高座の上にて申したまふ事なし。其の故は蓮師の御言葉に此の掟を守る者は分別して誹らず疑わずして真受けに受けてさてさて斯様の事を今まで信ぜざる事の浅間しさと、我が心を見下げ誤り果てて聞相な人を能く考え見分けて此の法を与ふべしと有る掟の文なり、斯様に誤り果てて聞く人がすなわち宿善開発の人なり。

能々御思案有るべし、返す返すも御文様を一帖目より五帖目終迄、幾度も幾度も、繰り返し繰り返し御聴聞有るべし。一応の聴聞にては必ず誤りあるべし。
蓮師の仰せに一大事の事なれば能々御思案あるべき事也。

御文は我等が往生の鏡なり、指金也。一句にても違い候へば往生極楽は不定なるべし。

誠に信心決定すれば夜の明けたるが如く明らかに見ゆる也。然らば早く早く善知識尋ね廻り合い信心獲得して極楽往生を致すべし、信心獲得なくばむなしく三途に趣くべしと仰せられたり・・・


まず、この掲示板の過去ログでも御文を最低3回は拝読されるように毎日様も仰いましたが、私は今上記のように、尋ねました。
そして自分にしっくり合う善知識様と御縁頂きました。
誰がどの善知識様と御縁頂くのかは、私達には分からないと思います。

今、御文の中に書かれている事と自分の信心が同じだと思えますので、有難くなるのです。

南无阿彌陀佛

●re.13
初心
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[ 1525 ] Re13:素直な質問 2009/06/04 (Thu) 23:14 △up ▽down
菩提心さんのお話って、何か専門用語が多くてむずかしいなぁ。
輪廻転生についてご自身が感じられたことを語ってみて下さい。

ところで、「真」と「仮」、そして「偽」の違いというのは自分からみたときの感じ方、感性の問題で、アウトかセーフといった判定はむずかしそうですね。

自分では「真」だと思い込んでいる状態を人から眺めてその通りだと思ったり、偽だと思ったりで… 

絶対的なものを求める心は単なる願望で、結局は心の問題は人と人との間で成立する相対的なものですか?

●re.14
菩提心
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[ 1529 ] Re14:素直な質問 2009/06/05 (Fri) 11:39 △up ▽down
初心様

>菩提心さんのお話って、何か専門用語が多くてむずかしいなぁ。

わぁ! どうしよう。難しいですか?
初心様の質問の方が難しいので、困っています。

私は、根が単純に出来ていたのだと思います。

私は、軽〜い気持で、ただ学校で聞いたことのある親鸞聖人の勉強があるからと当時の学校の先輩から勧められて仏教を聞き始めました。

全く、地獄とか極楽に興味が有ったのではなく、ただ知識欲と、他にやることもなかったからです。

まず、善知識の御言葉も知りませんでした。
ただ、善知識に遭わなければ、極楽浄土には行けないのか?。
その善知識というお方は、日本中探してもおられない、そして蓮如上人以来の善知識が今目の前におられるのか?

私は、ずっと劣等感が有りましたから、まずこういう人と廻り合う事は万劫にも無いことなのだと一遍に有頂天になりました。
又、このような教えを聞いているのは他にはいないのだと知らず知らず、人を見下している自分にも気づいてきました。

「一切衆生 必堕無間地獄」と長年聞いてきました。
そして、「善因善果 悪因悪果 自因自果 曽無一善」とも聞いてきました。

しかし、長年聞いている内に、段々苦しくなってきました。
一向に到達点が見出せないのです。
いつ自分は合点出来るのだろう、
喩話で、信前と信後の話を出産前と出産後の話を持ち出し説法された事もあるので、きっと子供を産むとその違いが分かるのかと思い、ずっと期待し、子供が出来ましたが、全く変わりませんでした。(そういう点でも単純に信じ込んでいたと思います)

全部の人が無間地獄に堕ち、そしてかつて一善も出来ない私は、この先どうすれば良いのだろう。
お金は続かない。聞いていても到達点は見えない。
一身上にも、辛い出来事が起こり、もう私の限界でした。

辞める決心をした頃から、ジャンヌ掲示板や、色々な非難あるページを知り、新たな人の出会いや、不思議な現象が起きてきました。

そして、ジャンヌ掲示板に書いていた時も、何度も不思議な現象や、思いをしましたが、それは私のパソコンの不慣れと知識不足だと言われ、一笑に付され、誰も信じてくれませんでした。

でも、そういう事を続けて行くうちに、今ここで一味同行の方のお話を聞ける身にさせて頂いています。

私は、「一文不知の愚鈍の身」であり、「一文不知の尼入道」だったので、阿弥陀様の正客に適ったのだと思います。

一味同行になれば、そこには何の差別もなく平等に救われる世界があります。

救われる道程は、きっと皆さん違うと思います。これはあくまで私の道程です。

初心様のご質問とは異なる回答になっていると思いますが、これもいつか誰かの御縁にでもなれば有難いです。

南无阿彌陀佛

●re.15
酒天童子
関東の男性
[ 1530 ] Re15:素直な質問 2009/06/05 (Fri) 14:54 △up ▽down
初心様

はじめまして、酒天童子といいます。

毎日様、泥凡夫様はお忙しいようなので、自分の出る幕ではないとは思いつつ、割り込みさせていただきます。

>絶対的なものを求める心は単なる願望で、結局は心の問題は人と人との間で成立する相対的なものですか?

上記に関して思うところを書き込みます。

仏教には聖道門と浄土門があるのはご存じだと思います。
どちらも仏陀はお説きになられたようです。
そうして浄土門では、末法のこの世では人は自力では成仏どころか修行の真似事すらできない、ただひたすら他力に縋って救ってもらうしか方法がない、と説きます。

そこには何らかの根拠があるからそう説いているわけです。
それが浄土三部経に説かれているといわれます。

ということは他力に縋れば助かるぞ、という方法を釈尊は残されたということではないでしょうか?

この世界は相対の世界ですから、厳密な意味での絶対的なものは存在しないかもしれません。

ただ、初心様の疑問に思われるところの「相対的」と、毎日様のおっしゃる「相対的」は意味が異なると思います。

完全なる絶対的な教えなどは存在しないという意味ではすべて「相対的」です。

しかし、だからといって釈尊が残された他力の方法というものは「単なる人と人の間でのみ成立する相対的なもの」であったのかどうか?

釈尊没後2500年を経た現代において、その救いの方法が一点の間違いもなく完全に伝わってきたかどうかは私にはわかりません。

しかしながら、阿弥陀経にあるように1250人が他力で救われたとするならば、そのようなことを仏陀釈尊自らが実践されたと考えられます。

もし、それを継承して伝えてきたのが善知識と呼ばれる存在だとしたら、たとえすべての善知識が全く同じ他力の救いを継承していないとしても、深い意味があるのではないでしょうか?

そこには優劣や善悪を論じることは難しくとも、少なくとも自分に縁のあった善知識の教えを「しっくり」くるものとして感じることができるかが初心様に委ねられるのではないでしょうか?

「?」や「もしかして」、みたいな文章ばかりでかえって分かりにくくしてしまったかも知れませんが、如何でしょうか?

南无阿彌陀佛

●re.16
初心
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[ 1531 ] Re16:素直な質問 2009/06/06 (Sat) 22:33 △up ▽down
「善知識」という言葉も知りませんでした…
「善知識」遭わなければ、極楽浄土には行けないのか?
その善知識というお方は、日本中探してもおられない、そして蓮如上人以来の善知識が今目の前におられるのか?

全部の人が無間地獄に堕ち、そしてかつて一善も出来ない私は、この先どうすれば良いのだろう。
お金は続かない。聞いていても到達点は見えない。
一身上にも、辛い出来事が起こり、もう私の限界でした。

上の菩提心さんの言葉には痛々しさを感じます。
しかし、そもそも、地獄とか極楽とかをいつも思い詰めているなんて何か変ですよ。
お笑い番組や恋愛ドラマは一切見ないんですか?
せめてそれを見ている時ぐらいはそんなことを忘れているでしょ?

ところで「善知識」なんて言葉、学校では習わないでしょ。
蓮如上人が善知識でそれ以外の人がそうでない、ということを確かめるだけでもたいへんなのに、それ以来、今まで一人も善知識がおられなかったような言い方をするなんて、そんなことを断言できるほど勉強している人なんてあり得ないですよ。すごいことを言っておられますよ。

もう一度聞きますよ。
仏教はだれのための教えなんですか?
通夜や葬式の時にお坊さんが来られて、まるで送り人みたいな雰囲気でお経を読んでおられますよね。

仏教の目的は次のうちのいずれですか?

1.自分が死んだ時にすぐに枕元にかけつけてくれて、後生を少しでも楽な世界に導いてくれる善知識を今のうちに探しておくこと。

2.生きているうちに魂の輪廻転生とそれからの解脱が実感できること。

酒天童子さんは哲学科の先生ですか?
私にとっては、菩提心さんよりももっと説明がむずかしいですよ。
ある人の教えがAにとってはしっくりきても、Bにとってはしっくりこない。ということはよくあることだと思います。相性もあるでしょうし、関心の度合いの違いもあるだろうからです。すべての人にとって、しっくり来る人なんてありえないと思います。
私にとって、酒天童子さんの説明は、ひと言でいって、「しっくりこない」です。
レベルが低くて申し訳ありません。

●re.17
菩提心
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[ 1532 ] Re17:素直な質問 2009/06/07 (Sun) 15:09 △up ▽down
初心様

お返事有難うございます。

でも、ひとつまず確認して置きたいと思います。


私は、今日、昨日仏教を聞いてきたのでは有りません。

又、ここ、毎日の浄土真宗のHPの冒頭には

>浄土真宗で阿弥陀如来の第十八願による真実信心を獲得し、生きながらにして、極楽往生治定したい方のためのサイトです。

>獲信、信決定、信心決定、真実信心、真実の行、六字の謂れ、これらのことに興味のある方を対象としています。

>そして、信心決定して、後念相続の場を求める方のためのサイトでもあります

と書かれています。

そういう人を対象にしています。


私が、若し貴方のような立場だったら、私はそのような私に対しての返事はまず書かないだろうと思います。

貴方はご存じ無いでしょうが、貴方と同じようなタイプの人の書き込みを過去に違う場所で読んだ事があります。

それを思い出して、勝手に楽しんでいました。

http://www.geocities.jp/shinran0826/index.htm  お暇だったら読んで見て下さい。


>レベルが低くて申し訳ありません。

と思っておられるのでしたら、過去ログを九様やボン様のような思いで読んで見られると宜しいと思います。

まあ、無知ながら長年地獄行きと聞いてきましたので、今は解放されてその分とっても幸せですよ。

まず、初心とHN付けられるなら、もっと、それに相応しい質問とか感想の書き方があると思います。

でも、全く進展しないHPより、少しでも賑わっている方が客観的に覗いた時に楽しいので、書いて頂いて嬉しいです。

南无阿彌陀佛

●re.18
菩提心
非公開の非公開
[ 1533 ] Re18:素直な質問 2009/06/07 (Sun) 17:57 △up ▽down
初心様

少し時間が取れましたので、再度読んでみました。

初心様は、全然このHPを読んでおられない事がよく分かりますよね。

もうここのHPは、真実信心頂いて喜んでいる場所です。

ですから、難しい言葉を知ることなんて後で良いことです。

今、後生が気になって仕様がないけれど、自分はどこへ行くんだろう?
この何とも言えない不安な心や暗い心を何とかしたい。
どうしても助かりたい。

そういう人が捜し求めてきて、その方法があると教えている場所です。


>[ 1501 ] 仏教の目的は、輪廻転生からの救い、ということなんですね。
>何だか、人間には「魂」というのがあって、それが生まれ変わりするようなイメージが仏教の生命観なんですね。
>「信」を獲て輪廻転生から救われたら、個人差はあるものの、安堵感や恍惚感を伴う喜びがありますよ、ということなんですね。

>[ 1525 ] 輪廻転生についてご自身が感じられたことを語ってみて下さい。

>[ 1531 ].生きているうちに魂の輪廻転生とそれからの解脱が実感できること。


貴方は「輪廻転生」のお言葉をその都度、毎日様、私、酒天童子様の返信に書いています。

質問するばかりで、貴方御自身はその「輪廻転生」をどのように受け止めておられるのですか?

http://www.eonet.ne.jp/~beanack/rinnetensei.html

http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/04_11_25.html


>[ 1531 ] もう一度聞きますよ。
>仏教はだれのための教えなんですか?

私一人の為の教えです。

南无阿彌陀佛

●re.19
酒天童子
関東の男性
[ 1534 ] Re19:素直な質問 2009/06/08 (Mon) 22:18 △up ▽down
初心様

こんばんは酒天童子です。

お役に立てなくて申し訳ないです。

それでも、初心様はこのホームページに書き込みされました。それは尊いことであると思います。

その探究心を維持するならば、かならずや「しっくりくる」人に出会えることと思います。

自分自身、未熟であります。今後、もっとわかりやすくできるように初心にかえって研鑽いたします。

有難うございました。

南无阿彌陀佛

●re.20
初心
非公開の非公開
[ 1536 ] Re20:素直な質問 2009/06/14 (Sun) 13:07 △up ▽down
菩提心さんに一言。
何か勘違いしておられませんか?
初心者というものは私のようなもの。
私は宗教に関しては無知だけれど、無関心ではない…という程度ですよ。
人の生き方は自由だけど、社会現象としてのカルト集団が起こす事件には
痛ましさを感じるんですけど…  変ですか? 普通ですよね…

最近、たまたま知人に「歎異抄の現在語訳」という書物を借りて読んで浄土真宗
という教えに少し関心を持ちました。
昔はこの教えに命がけで求めた人達がいたことが書かれていました。
今もそのような人達がいることには驚きです。

ご紹介いただいた下記サイト
http://www.geocities.jp/shinran0826/index.htm

459さんと新人太郎さんとの、「雑行」と「諸善」とはどう違うのか、
というのがテーマでのやりとりはややこしかったけど、面白いといえ
ば結構面白かったです。
感想的には、新人太郎さんは少しいじわるなところもあるけれど、
「雑行」と「諸善」とは微妙に違うところがある、という説に分が
あるように感じましたけど…  どうなんですか?
「雑行」と「諸善」については、
わからない人には同じように感じてしまう、しかし、分かった人
にははっきりとした違いが見えるのでしょう。
私ですか? もちろん全然わかりませんよ。
ただ、全然わからない人は新人太郎さんのようには書くことはできない
だろう、という印象を持っただけです。

しかし、新人太郎さんの説について、次のような問題点を見つけました。
「雑行」と「諸善」の違いが分かった人が、人に仏教を教えるのは、
報謝行だというのは分かりましたけれど、「雑行」と「諸善」の違いが
分かった人が、「雑行」と「諸善」の違いの分からない人を介して人に
教えを広める場合、「雑行」と「諸善」の違いの分からない人が「雑行」
と「諸善」の違いの分からない人に伝える作業は「雑行」になるのか
「諸善」になるのか、という問題。
言葉は報謝行だけど、その人の行っている中身は「諸善」ではなく、「雑行」
ということになってしまいそう。
459さんはそのことを新人太郎さんに対して言われていそう。
ここの問題をはっきりさせておかないと、ややこしいな、と感じました。

私の輪廻転生に関する意見を聞かれても困ります。
また、人にいえるような見識はもってません。
ただ、エドガーケイシーという普段は死後の存在を信じない人が、
リーディングといわれる催眠術がかかっている状態の中で、人に
「魂」とはどういったものなんでしょうか、と聞かれた時に、「魂」
とは輪廻転生するもの、と語ったとされることが印象的です。
リーディングの内容で語られた事柄はほとんどが当たっているらしい
ので…

酒天童子さん、しっくりくるかどうかは第一印象のようなもので、例えば
本屋に行って、たくさんの本を見てどれを選んで買うかなんて人さまざま
ですよね。今日買わなかった本でも、いずれ買うかもしれないという書物
もあるし、たぶん一生買わないだろうという本もたくさんありますよ。



●re.21
菩提心
非公開の非公開
[ 1538 ] Re21:素直な質問 2009/06/18 (Thu) 10:16 △up ▽down
初心様

お久しぶりです。
お書き込み有難うございました。

ずっと、風邪をこじらせ、締切日のある書類提出の仕事のせいで、全くこの掲示板を開ける元気も出てきませんでした。

>菩提心さんに一言。
>何か勘違いしておられませんか?
>初心者というものは私のようなもの。
>私は宗教に関しては無知だけれど、無関心ではない…という程度ですよ。

済みませんね。私、本当に勘違いが多いので、今でも、こんな私が救われているなんて・・・って思うととっても有難いと思います。

そして、示して下さったところ読んで下さり有難うございます。

この場所は、以前毎日様に質問したところで、その場所を詳しく教えて頂いたのですが、私の不手際で、全部消えてしまった箇所です。

その時は、ようやく有縁の次第相承の善知識様にお会い出来る頃だったと思いますが、私の事を心配して下さり、又、泥凡夫様からは直にお電話して頂きました。

私は、この御両人がおられなかったら、今の私はいないと確信できるからです。

しばらくこの掲示板とも離れて見て思うのは、やっぱり私はこの場所の過去ログが一番私の後念相続の場所になっているんだなと思えることです。

それは、真実の言葉が語られているからです。

毎日様も泥凡夫様も嘘は決して仰っておられないからです。

私は、このように毎日様や泥凡夫様とこの場所で色々お話出来た事が、唯一私の心の財産です。
これは、しばらく開けて見なかったからこそ、味わえる有難さです。

いつでも、連絡しようと思えば出来る存在だからです。

目に見えない存在では有りません。

今、声をかければ、優しく語りかけて下さる存在だからです。

だから、初心様が覗いてこの場所の過去ログを読んで貰えると嬉しいなと思って、勘違いな文面になったのかも知れませんね。ごめんなさい。

南无阿彌陀佛

●re.22
菩提心
非公開の非公開
[ 1539 ] Re22:素直な質問 2009/06/18 (Thu) 15:46 △up ▽down
初心様

よく過去ログ読んでみましたら、有りました。

[ 63 ]「大乗仏教」と「大乗非仏説」について
http://shinshu.in/forum/forum.cgi?act=select&id=1&pastno=0&vine=12&page=3

丁度、この日に御縁頂いたんです。

絶対、絶対忘れられない日です。

このように最近はボケてきていますが、その時の思いは忘れられません。

心細い思いで、善知識様宅に伺う道中、泥凡夫様からの「一緒に行けなくて御免なさい」というお電話を車の中で聞きました。

そして、帰ってきてからこの掲示板を読んでみました。

当時はおやおやで書いていましたが、私のお願いを何の躊躇もしないで引き受けて書いて下さったお陰で、これから主人や息子のお嫁さんとも一味同行になれます。

ここでの繋がりはどのような意味があったのか分かりませんが、無駄な繋がりは一つも無いんだと思います。

今の初心様のお書き込みが、何れ誰かの御縁になっているかも知れません。

今は阿弥陀様のお計らいに感謝するばかりです。

南无阿彌陀佛



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