浄土真宗の教義について

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●No.13
現代人
関西の男性
[ 75 ] そもそも、信心決定とは 2007/12/02 (Sun) 10:47 △up ▽down
信心を頂いたと、言われる時、本当のところ何が根拠となっておりますでしょうか。

蓮如さまは、このことを強調されているようですが。

18願に、すなわち阿弥陀様の本願に感応したこと、うなずいたことを指し示しているのでしょうか。

信心決定にとらわれますと、返って聞くことを撥ね付けるような作用が働くように思えます。(これは自分の体験です)
親鸞様は、自分は信を決定したぞという強調をされていたでしょうか。

難思議往生を遂げんと欲う と言う表現をされておりまして、遂げたり とは
表現されておりません。

このことは、以前から気にかけております。

真宗には、所論紛々で、色々な安心が入り乱れております。


●re.1 admin 
毎日
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[ 76 ] Re1:そもそも、信心決定とは 2007/12/02 (Sun) 17:19 △up ▽down
現代人 様

お問いかけ、ありがとうございます。

たとえば、ご本典の序文ですが、

◎真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。

これは、信をとられていることをおっしゃっていると思うのですが、現代人様は、どのようにお読みになっていらっしゃいますか。

そして、同じく序文の

「専らこの行に奉え」これは、専修念仏です。

「ただこの信を崇めよ」これは、御恩報謝です。

また、「難思議往生を遂げんと欲う」についてですが、往生というのは、娑婆の身体に別れを告げてからのことですので、平生にて著述しているわけですから、そのような表現になると思います。

色々な安心が入り乱れているのは、その通りであると思います。

よろしければ、また書き込みいただければ、うれしいです。

●re.2 admin 
毎日
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[ 77 ] Re2:そもそも、信心決定とは 2007/12/02 (Sun) 17:57 △up ▽down
現代人 様

>信心を頂いたと、言われる時、本当のところ何が根拠となっておりますでしょうか。

これは、いろいろとあります。ひとつには、ご聖典と内容が一致することです。


>18願に、すなわち阿弥陀様の本願に感応したこと、うなずいたことを指し示しているのでしょうか

これは、その通りであると思います。

ただ、「阿弥陀様の本願に感応」「うなずく」とは何か、ということが肝要だと思います。

●re.3 admin 
毎日
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[ 82 ] Re3:そもそも、信心決定とは 2007/12/03 (Mon) 16:02 △up ▽down
現代人 様

>親鸞様は、自分は信を決定したぞという強調をされていたでしょうか。

◎誠知。悲哉愚禿鸞。沈没於愛欲広海。迷惑於名利太山。不喜入定聚之数。不快近真証之証。可耻可傷矣。
「誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまず。恥ずべし、傷むべしと。」

正面からの強調ではありませんが、「入定聚之数」「近真証之証」とありますので、信を取ったということは、書いてあると思います。

●re.4
おやおや
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[ 83 ] Re4:そもそも、信心決定とは 2007/12/04 (Tue) 04:53 △up ▽down
毎日様

僕は、お聞きしました。

「信心決定しても、不思議ですね。

この娑婆世界に、未練があるんですね。

なかなか、極楽浄土に行きたいと思わないですね。」

上記の親鸞聖人のお言葉を簡単にいうと、こういうことでしょうか?

信心決定したら、もういつ死んでも、極楽往生間違いないのに、でも、まだ、色々世間事に執着するのでしょうか?

毎日様は、「自信教人信」のお立場を、明確にこの掲示板でお示し下さいますので、僕は安心して、何でも聞けるので、後念相続していく上でも、心丈夫です。






●re.5 admin 
毎日
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[ 84 ] Re5:そもそも、信心決定とは 2007/12/04 (Tue) 05:22 △up ▽down
おやおや 様

はい、執着します。

本当に、あさましい、あさましい凡夫なのです。

救ってもらっても、心から、よろこぶことできません。

弥陀の救いは、究極すぎて、凡夫には、よくわからないのです。

これが、もっと世俗的なことであれば、よりわかりやすいでしょうけれども、
凡夫にとってわかりやすいはずの世俗的なことでも、心から感謝することは、できないでしょう?

恩を忘れて相手を批難し、喧嘩ばっかりしているのが凡夫で、
そのような凡夫を何がなんでも救うぞと、とてつもない願を立ててくださったのが
阿彌陀様です。

もらった瞬間は感激しても、時間がたてば感謝を忘れ、
大恩ある人を裏切るのが凡夫なのです。

ですから、そういう悪行をさせないために、知恩報徳の益も与えてくださっているのです。

ですので、私たちは、阿彌陀様だけには、そむかないのです。

最高にすばらしいものを与えても、感謝もできない凡夫ですから、
感謝の気持ちまで、廻向してくださるのです。

そこまでやらないと、凡夫を極楽浄土に迎えることはできないのです。

自分では感謝のできない凡夫ですが、弥陀は一緒に知恩報徳の益もくださるので、
感謝できない凡夫が、感謝もできます。

常行大悲の益も与えてくださるから、良いものもらう程隠したくなる凡夫が、
弥陀の救いは伝えたくなるのです。

ですけれども、そういう気持ちも、出たり出なかったりです。

それくらい、凡夫の煩悩の雲は厚いのです。

真実信心いただいてもそうですから、いただく前は、本当にどうしようもありません。

「信心いただいても、何も変わらない」とは言え、やっぱり、変わります。

少しずつ、心持ちも、変わってきます。

因があれば、果があるからです。

根源の無明に、明かりをつけてくださいましたから、その結果が、
徐々に出て参ります。

それでも、凡夫ですから。

一念帰命して、どうしてすぐに極楽往生できないのかと言えば、
極楽往くまでに、まだ準備があるからです。

あれこれ手続きが残っているわけですが、これも、弥陀の側で、
諸仏の側で、あれこれ世話してくださいますから、
凡夫は、何もわからなくても、ただ歩んでいれば良いのです。

「心光常護だし、諸仏も護念してくださるし、よくわからないけど、
ぐんぐん良くなっているんだな」と思って、御恩報謝の南無阿弥陀仏をお称えしながら、
残された道を歩みます。

もう、何もしなくても、1日経てば1日、浄土に近づきます。

●re.6
おやおや
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[ 85 ] Re6:そもそも、信心決定とは 2007/12/04 (Tue) 06:07 △up ▽down
毎日様

>もう、何もしなくても、1日経てば1日、浄土に近づきます。

これ以上のお言葉は有りません。

僕と毎日様は面識も有りません。

年齢も、学歴も、多分住む世界は、全く違うと思います。

でも、一味同行、弥陀の浄土で、お会い出来ますこと、嬉しいです。

又、この掲示板より、毎日様のお言葉聞けることも、本当に有り難いです。

●re.7 admin 
毎日
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[ 86 ] Re7:そもそも、信心決定とは 2007/12/04 (Tue) 06:38 △up ▽down
おやおや 様

念仏衆生摂取不捨です。

弥陀は決して捨てません。

救いたくて救いたくてたまらない弥陀が、ついに、おやおや様とご縁を結ぶことできたのですから、決して離しはしないのです。

本師本佛の力にて、100%浄土に往生できます。

内魔も働けない様に、自力を捨てさせ、外魔も防いで、光明で救い摂ってくださったのです。

何の心配も要りません。

●re.8
現代人
関西の男性
[ 88 ] Re8:そもそも、信心決定とは 2007/12/05 (Wed) 15:02 △up ▽down
毎日様 ご回答有難うございました。

これで疑問の一つは解けました。 だが、しかしです。本当のところ、

真宗に出逢いましても、信心決定病にかかったようでスッキリしません。

凡夫の心をスッキリとさせるようなものは本物の信心ではない。自分の心を相手にしていては、100年たっても安心決定しないぞ とお叱りをうけそうです。

深く共感はするのですが、いつの間にやら又考え直す。
疑いは我が本性のようです。いくら本を読んでも何かが足りないような。
逃げてやろうかとも思ったけれども、又もとに戻っている状態です。

確かに、一度は本願に出逢っているはずではありますが。

●re.9 admin 
毎日
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[ 89 ] Re9:そもそも、信心決定とは 2007/12/05 (Wed) 18:04 △up ▽down
現代人 様

書き込み、ありがとうございます。

私たちの考える真宗では、「一度は本願に出逢っている」であれば、既に救われています。

弥陀の本願は、念仏衆生をひとり残らず、救うからです。

そして、本願に出逢っている方は、六字の謂れを知っており、ご聖教と割符も合います。

ですから、

>いくら本を読んでも何かが足りない

というのは、とても望ましいことであると思います。

本を読んで満足してしまうのは、私たちの考える真宗ではなく、思想・哲学のようなものであり、難思議往生とは言えないようなものだからです。

「難思議」というのは、現代語で言えば「神秘」のようなものでしょう。

また今晩、補足致します。

●re.10 admin 
毎日
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[ 90 ] Re10:そもそも、信心決定とは 2007/12/06 (Thu) 00:49 △up ▽down
現代人 様

ご存知でありますように、「自信教人信」という言葉があります。

これがきちんと守られていれば、「真宗に出逢いましても、信心決定病にかかったようでスッキリしません」ということは起こらないのですが、それは無理なことです。

なぜならば、凡夫には、「無知」の毒がまわっていますので、わかっていないことを、わかっているとしたいからです。

つまり、たとえば、真宗の説法を聞いた人がいるとします。そうすれば、その人の多くは、信心決定していなくても、「真宗っていうのはねえ・・・」と語り出すのです。

それは、今の日本の真宗を見渡せば、よくわかると思います。

真宗において、信心決定していない人も、「本当の真宗と言うのは・・・」と語っています。

仏教も同じです。わかっていない人でも、「釈尊が本当に言いたかったのは」と多くの方が言うはずです。

親鸞聖人の時代においても、「法然上人が本当に言いたかったのは・・・」ということで、弟子の間にも意見が異なっていたことが、伝わっています。

師とじかに接していても、そうなのです。時代がくだれば、どのようになるかは想像がつきます。

私たちは、真宗の救いは、釈尊から伝わっていると思っています。

「出世本懐」というくらいですので、釈尊が本当に伝えたかったのは、この真宗の教えであると思っています。

では、なぜ他の教えも説いてくださったのでしょうか。

たとえば、私も、「真宗の教えは南無阿弥陀仏の六字にすべてこもっています」と言いながら、教義についてあれこれとお話しています。

このように、核心以外のことも話さなければならなくなるのは、疑いを解いてゆき、弥陀の本願海へと辿り着いていただくためなのです。

真宗の救いに辿り着くには、信決定している方に会うのが近道です。なぜなら、信心決定している方は、善知識を知っているからです。

◎幸不依有縁知識者 争得入易行一門哉
「幸ひに有縁の知識によらずは、いかでか易行の一門に入ることを得んや」(歎異抄)

◎いま善知識に遇ひて弥陀本願の名号を聞くことを得たり(教行信証)

◎善知識に遇ひ、法を聞きよく行ずること、これまた難しとす(大経)

◎「その名号を聞く」といへるは、南無阿弥陀仏の六字の名号を無名無実にきくにあらず、善知識にあひてそのをしへをうけて、この南無阿弥陀仏の名号を南無とたのめば、かならず阿弥陀仏のたすけたまふといふ道理なり(御文)

◎すなはち『大経』の下巻に仏法のあひがたきことを説くとして、「如来興世 難値難見 諸仏経道 難得難聞 菩薩勝法 諸波羅蜜 得聞亦難 遇善知識 聞法能行 此亦為難」といへり。この文のこころは、「如来の興世値ひがたく、見たてまつりがたし、諸仏の経道得がたく聞きがたし、菩薩の勝法・諸波羅蜜聞くことを得ることまた難し、善知識に遇ひて法を聞きよく行ずることこれまた難しとす」となり。されば「如来にも値ひたてまつりがたし」といひ、「菩薩の勝法も聞きがたし」といひて、そのほかに善知識に遇ひ法を聞くことも難し」といへるは、仏・菩薩のほかにも衆生のために法をきかしめんひとをば善知識といふべしときこえたり。またまさしくみづから法を説きてきかするひとならねども、法をきかする縁となるひとをも善知識となづく。(真要抄)

●re.11
現代人
関西の男性
[ 113 ] Re11:そもそも、信心決定とは 2007/12/09 (Sun) 15:53 △up ▽down
毎日様

私は、以前からずっと「善智識」と言う言葉に引っかかっておりました。真の善智識、
しかも、生きた善智識に遇わなければならない。

でも、日常の平々凡々の生活の中で、こんなことが可能であろうか。このような思いでありました。

かっては、聞きに歩いたこともありましたが、寒い風が通り抜けたごとく何も残りませんでした。

この掲示板に出合ってから、道が見えてきたように感じております。
まずは、御文からじっくり拝読してゆこうと思っております。

また、躓くとはおもいますが。 とにかく危なっかしいです。
その節はよろしくお願いします。

●re.12 admin 
毎日
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[ 114 ] Re12:そもそも、信心決定とは 2007/12/09 (Sun) 18:09 △up ▽down
現代人 様

御文様拝読ご予定とのこと、心よりうれしく思います。

善知識に遇うことは、甚だ希であり、むずかしいことでありますが、それでも、遇うときには、遇える訳です。

弥陀に救われたいという気持ちが育ったとき、すべての扉が開くと思います。

南无阿彌陀佛



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