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[ 1480 ] Re1:教義について Part2
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2009/05/02 (Sat) 19:06
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極道坊主様
≪「今家」は、現代では『真宗』を指す言葉と限定して御理解されても良いと思います。
ボン様の教行信證のスレッドではなく此方で会話致しましょう。
私は「今家」は「眞宗」限定ではなく、極道坊主様指摘の『純他力』を戴いた
「浄土一門」「他力一門」としてならば了解ですが、眞宗限定ですと他宗派でご縁に
遇われた方々に対して申し訳ないとおもうからです。前に書かせて頂いた曹洞宗の
M師(善知識)又真言宗、日蓮宗のご同行の方々もいますので、「今家」は善導家の
流れを汲む『当流』純他力と理解したいのです。
それが、宗祖が宗師として善導樣を崇められた祖師の意にかなうと思うのですが
いかがでしょうか。お心をひろくして頂ければと願います。
合掌 南無阿弥陀仏 南無阿彌陀佛。
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[ 1481 ] Re2:教義について Part2
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2009/05/02 (Sat) 19:44
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極道坊主様
余計なお世話かも知れませんが、坐禅三昧の『曹洞宗』の修證義に
第一章 総序 生を明らめ死を明らむるは佛家一大事の因縁なり、生死の中に 佛(ほとけ)あれば生死なし、・・・ではじまり 第五章 行持報恩 で・・・徒(いたず)らに百歳生けらんは恨むべき日月なり悲(かなし)
むべき形骸(けいがい)なり、設(たと)い百歳の日月は聲色の奴婢(ぬび)
と馳走(ちそう)すとも、其中一日の行持を行取せば一生の百歳を行取するのみに非ず、
百歳の佗生をも度取すべきなり、此(この)一日の身命は尊(とうと)ぶべき身命なり、
貴(とうと)ぶべき形骸なり、此行持あらん身心自からも愛すべし、自からも敬うべし、
我等が行持に依りて諸佛の行持見成(けんじょう)し、諸佛の大道通達するなり、然(しか)
あれば則ち一日の行持是れ諸佛の種子なり、諸佛の行持なり、謂(いわ)ゆる諸佛とは
釋迦牟尼佛なり、釈迦牟尼仏是れ即心是佛なり、過去現在未来の諸佛共に佛(ほとけ)と
成る時は必ず釋迦牟尼佛と成るなり、是れ即心是佛(そくしんぜぶつ)なり即心是佛と
いうは誰というぞと審細(しんさい)に参究(さんきゅう)すべし、正(まさ)に
佛恩を報ずるにてあらん。 (釋迦牟尼佛を阿彌陀佛と置き換えたら?) この文言の「其中一日の行持を行取せば・・・」何か気になる文章ではないでしょうか。
蛇足でした。 合掌 南無阿弥陀仏 南無阿彌陀佛。
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[ 1482 ] Re3:教義について Part2
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2009/05/02 (Sat) 23:13
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横からすみません。 日本に、仏教が上陸した時は、自力の教えだったと思います。 仏教の歴史上、他力の教えが、上陸したのは何時の事なのか、私には、謎です。 善知識が、日本に上陸、または、日本人が、中国で、善知識の役を貰い帰国したか。。。 空海は、弥陀をたのんだと言われています。 空海も、一流だった訳です。すると、空海は、何処で信心をいただいたのでしょうか? 源信僧都も、確か、私の記憶が正しければ、天台宗の方なのに、 聖典に『横川法語』が載っているし。 聖典の中には、浄土三部経以外の経典の出典があるのは何故? 法然上人は、何処で誰から信心を頂いたと言う事になっているのですか?
ただ、疑問に思っただけなので。。。 聞き流して下さい。
失礼しました。
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[ 1483 ] Re4:教義について Part2
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2009/05/03 (Sun) 23:07
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愚尼様、皆さま、おはようございます。
>法然上人は、何処で誰から信心を頂いたと言う事になっているのですか?
この点につきましては、有縁の善智識様から、この御一流のなかの言い伝えとして、 善導大師から法然上人への法の引継ぎがなされたと聞きました。
それによると、修行中の法然上人が、夢のお告げに導かれて「真葛ヶ原」までいき、 そこにあった洞窟のなかで、夢とも現ともつかないかたちで善導大師に出会い、 法を伝授されたとのことです。
「真葛ヶ原」というのは、当時、一面に真葛やすすきが生い茂る閑寂な地でしたので、 「真葛ヶ原」と言われていたのだそうです。
その後、法然上人はその地に「吉水の草庵」といわれる小さな庵を作り、念仏往生を 広められたとのことです。親鸞聖人も聖覚法印に手を引かれて、この草庵を訪れ、 法然上人から法を伝授されたのは有名な話です。
法然上人が善導大師から法を伝授された洞窟は、「法垂窟」という名前がつけられ、 ちょど知恩院大鐘楼の裏手にあたることから、現在では観光地の一つとなっております。 (「法垂窟」は「安養寺」の敷地にあります)
「法垂窟」というのは、「法を垂れた窟」という意味で、「ほうたれくつ」または 「ほうたるのいわや」と読むのだそうです。
現地では、これを「蛍のいわや」と読み違えて、当然のことながらそのいわれも解らず、 「この窟のなかで、蛍のあかりをもとに勉強をした」などといい加減な伝承も なされているようです。
私も、かつて、同行様たちと京都旅行をしたさいに「法垂窟」を訪れました。 洞窟の中は、長い年月の間に崩れたせいか、だいぶ狭くなっておりました。
洞窟の上には、善導大師から法然上人への法の伝授を表す銅版レリーフが 埋め込まれておりますが、これは、私が御法を授かった善智識様の先代の方が、 作って寄進されたのだそうです。
まさに『善導大師 ⇒ 法然上人 ⇒ 親鸞聖人』という御一流のスタート地点が この「法垂窟」になるわけですがら、一味同行にとりましては、たいへん重要な 聖地となるわけですね。
ネット上で、「法垂窟」の画像を探してみました。
http://www.sourinji.com/modules/wordpress/attach/hohtaru.jpg (法垂窟正面)
http://www.rakutabi.com/memory/memory8/memory8-p30.JPG (法垂窟正面横から)
http://www.rakutabi.com/memory/memory8/memory8-p34.JPG (銅版レリーフ)
ご参考まで
南无阿彌陀佛
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[ 1484 ] Re5:教義について Part2
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2009/05/03 (Sun) 17:43
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忍草様
極道坊主で有ります。
度々の御教授、御指摘有難う御座います。
忍草様の仰る事、了解しました。 言われます事、ごもっともです。 他宗の方への配慮にも欠けていたところが有りました。
>お心をひろくして頂ければと願います。
なかなか自分、島国根性というんですか? 身内根性とでも言うんでしょうか? そういった性根が強いです。
「自分の属する組織が一番。」と言う思いが起こってくるのでしょうか?
暴れん坊をしていましたので、「自分が一番。」という思いはとても強いです。
『心は大海の如く、広くあれ。』と、師より聞かせては貰っておりますが、気が付くと其の様には為っていない自分が居ます。
凡夫には、殊勝な心は瞬時々々、刹那々々であっても、備わっていないと言う事なのでしょうね。
でも、ヤッパリ自分にとっては、『真宗』が一番なのです。(これは、自身の感想で有ります。)
若かりし頃、(もう既に数十年も前ですが。)浄土真宗にご縁が有ったにも拘らず、簡素な佛道修行(簡単に聞き流してください。)に物足りなさを感じ、真言、禅(臨済、曹洞)と勉強をして見ました。(凡夫の為に簡素にして下さった、親様の慈悲を知らなんだ。)
修行をする事が、佛教だと心得違いをしていたからです。(今になって気付かされた事です。)
しかし、雑多(この表現、他宗の方には申し訳有りませんね。)な修行、煩雑な内容に嫌気が差したことも有ります。
身に数々の印を組、多種にわたる真言を覚え、意(こころ)を三摩地(三昧と同じ意味です。)に置く。
これらを繰り返し行じても、心の中にはなんとも晴れない物が残っていました。
佛教は、多岐にわたります。 数々の宗派がある。 御釈迦様の、『対機説法』の名残なのでしょう。
でも、其の最終目的は、『正覚』であります。 喩えて言うたら(自分、変な喩えが多いですね。)富士山の頂上を目指す登山者です。
静岡の方から登る者もあれば、山梨側から登る者も居る。 登山道もいくつもあると思うのです。(ごめんなさい。まだ富士山には行った事が有りません。)
どのルートを通っても、最終目的地の頂上に到達すればそれで良いのだと思います。
自分の好みのルートを選ばれる。 それらもやはりご縁なのでしょう。
また、縁なくして想うルートにも辿り着けなかった方も居られるのでしょう。
想うル−トではないけれども、頂上まで来られた方も居られるやも知れません。 それらはやはり、人智を超えた所で佛の御計らいがあるのだと感じます。
親様の御廻向は、其の者の縁に即し、形を変え品を変えして届いて下さっておるのですね。
その、最終目的で有ります、『正覚』、『成佛』に辿り着く事で、「心を平穏にすることが出来る。」とおもって精進しますよね。
>(釋迦牟尼佛を阿彌陀佛と置き換えたら?)
自分は、御釈迦様の事を、阿弥陀様の応化身と戴いております。 久遠実成の阿弥陀佛で有ります。 縁が到り世に『ゴータマ・シッタールダ』としてお生まれになった。 そう思っております。
宗派は変われど、『久遠実成の佛』を何処の宗派も言われるのでしょう。 限り有る命の「衆生」に対して、無限の「佛」であります。
『阿弥陀佛』=『限りない命』=『宇宙』
表現すれば少し違和感が有りますが、喩えて表記すれば上記の如く感じています。
忍草様は此度の事もそんな事を言っているのではないかもしれませんが?(いけませんねぇ〜自分の性格。)
まぁ、上記の如くどんなに書き込んでみても、それらは自身の知識の範囲であって、自分の心の揺れ動く様を留めてくれるものでは有りません。
その、自分ではどうにもならん心を落ち着かせる為に選んだ道が『佛教』だった。 色々と味見をして廻ったけれども、盛り付けの綺麗さの割りに美味しくも無く、身になるものでもなかった。 様々にある雑多な行儀に時間を取られ、食する事が出来ない。 自分の求めている物に辿り着けない。 そんな感じにさせられたのが他宗派の『佛教』でした。(行住坐臥に全てを見出す。といわれてもチンプンカンプンでしょ。)
簡素だけれど、美味しく感じ、同じものだけれど何時食べても違う味わいが有り、常に血にも肉にもなった。 今々の苦しみを抜いて下さった教えが自分のご縁のあった処でした。 それは、一番身近な足元に有ったということにも気付かされました。
『真宗』の教えは即効性があると感じます。(それは、聞く者の心構えにも依ってくるのでしょうが?) でありますから、信仰上『真宗が一番』を表明するのです。 これが一番と信じ込まねば、信じさせて貰えられなければ、宗教の肝心なんて、凡夫の性根には染み渡っては下さいませんよ。 また其れは和紙が水を吸うが如くスーッと入って下さいました実感が有りますから「これだ」と言い切るのです。(口調が上がってしまいました。 自分のゴリ押しを正当化しているみたいでみっともないですね。)
助かりたい、救われたい一身で聞くのです。 「死を掛けて聞かにゃ〜ぁ、此の教えは爪の先も入っては行かんのでぇ〜。」と言われた言葉を思い出します。 皆さん、ご縁を戴かれた方は必死なのですよ、きっと。
ボン様
お心に苦い思いを与えまして、申し訳有りません。
自分の気性の激しさから来る、醜いところであります。
以前、愚尼さんがご自身の事を「瞬間湯沸かし器」と喩えられておられましたが、対して自分は、「原子炉」並ですと答えた事が有ります。 常に、「臨界点」ギリギリです。
平和利用されているから良いのかもしれませんが、自身でコントロール仕切れてない所に恐ろしさを感じております。
手に負えん処は、お任せするしか有りませんね?
ボン様の書き込みを読ませて貰って、改めて気が付きました。 喰い違っておる所があったのでしょうか? 自分も言葉足らずの所が有ります故、誤解を生じさせたのでしょうね。 これは、誠に申し訳ないことであります。
言葉というのは、足らなくても伝わらない。 過剰に有りすぎても解らない。 で、丁度良い所が見つけ難いです。
『人と接する時には、御念佛を以って接しさせて貰いなさい。』とは、師の弁。 こういった所にも、配慮してのお言葉だったんですね。
やはり自分、教義、教学、歴史的な事は、得意でないのでしょう。 書き込みしていても疲れを感じてしまいます。
『なむあみだぶつ』、『なむあみだぶつ』とのんびり御念佛と共に過ごしていたい。 そんな気がします。
御念佛を忘れない身にして貰った事、忝くも有り難く、勿体無い話で御座います。
『後念相続』もこう言った意味合いなのですよね? きっと。 ほんと、何も知ってないですね。 それでも、お救い下さった事が勿体無いと感じております。
合掌
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[ 1485 ] Re6:教義について Part2
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2009/05/05 (Tue) 17:38
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ボン様
こんにちは酒天童子です。
教行信証ノート、楽しく読ませていただいています。
極道坊主様、忍草様よこから口をはさんで申し訳ありません。
>>法然上人は、何処で誰から信心を頂いたと言う事になっているのですか?
>この点につきましては、有縁の善智識様から、この御一流のなかの言い伝えとして、善導大師から法然上人への法の引継ぎがなされたと聞きました。
上記、自分は一つの伝説というか、どちらかというと本当の話なのかなあ、という感じを持っています。
善導大師から法然聖人に夢告がなされたのは、聖人が流罪にあってからであるかと思っていました。
法然聖人とご開山聖人は流罪の時に今生の別れをしていると聞いているので、なんか順番が逆になってしまうのではと思ったからです。
それと、夢告で一流の法が相伝できるのであれば、釈尊が出世される必要もなかったように勝手に思うのはおかしいでしょうか?
私も知恩院を訪ねた際、法垂の巌はおとずれました。
あまり手入れがなされていなくて、さびしい思いをしました。
すみません。上記のことは調べたわけでも根拠があるわけでもないです。
ちょっと疑問に思ったので質問するのは手っ取り早いかと思った次第です。
ご教授をお願いします。
南无阿彌陀佛
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[ 1490 ] Re7:教義について Part2
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2009/05/07 (Thu) 01:25
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酒天童子様、こんばんは。
善導大師から法然上人への法の引継ぎにつきまして、私がご縁をいただいた 善智識様にいたるまで代々語り継がれたことをご披露いたしました。
これが本当の話なのかどうか、確たる証拠があるわけではありませんが、 代々語り継がれてきたことを重く受け止めております。
善導大師と法然上人の生きた時代は、約500年ほどのずれがあります。 この一念帰命の御法は、文書のみで伝わるものとは考えられませんので、 ここのところは、なにか超常的な事象を介するのでなければ、 説明がつきにくいところだと思います。
「真葛ヶ原へ行け」と言ったのは夢のお告げかと思いますが、法然上人の前に 善導大師が現れたのは、夢なのか現実なのか解らないことと聞いています。
私個人としては、そういうことがあってもおかしくはないと思いますが、 証拠があるわけではありませんので、強く主張するつもりもございません。
なお、以下の部分は酒天童子様の論旨がよく理解できず、どのようにお答えしたら よいのか解りませんでした。
>善導大師から法然聖人に夢告がなされたのは、聖人が流罪にあってからであるかと >思っていました。
>法然聖人とご開山聖人は流罪の時に今生の別れをしていると聞いているので、 >なんか順番が逆になってしまうのではと思ったからです。
南无阿彌陀佛
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[ 1492 ] Re8:教義について Part2
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2009/05/07 (Thu) 09:32
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ボン様
酒天童子です。
>なお、以下の部分は酒天童子様の論旨がよく理解できず、どのようにお答えしたら >よいのか解りませんでした。 > >>善導大師から法然聖人に夢告がなされたのは、聖人が流罪にあってからであるかと >>思っていました。 > >>法然聖人とご開山聖人は流罪の時に今生の別れをしていると聞いているので、 >>なんか順番が逆になってしまうのではと思ったからです。
わたしも同行から聞いた話を鵜呑みにして書き込んでいますので、確かな話ではないですが、善導大師からの夢告が法然聖人にあった、というのは聞いています。
ただ、その時期が聖人がたが「松虫すずむし事件?」の法難の後であるならば法然聖人から親鸞聖人に御法の伝授が行われたのは当然、それ以前のことになるのですから、むしろ夢告の事実はあっても内容は別なものであったのではないか?と思ったのです。
>善導大師と法然上人の生きた時代は、約500年ほどのずれがあります。 >この一念帰命の御法は、文書のみで伝わるものとは考えられませんので、 >ここのところは、なにか超常的な事象を介するのでなければ、 >説明がつきにくいところだと思います。
観経疏は時代を超えて日本にも伝わっておりましたし、選択集を読めばわかるように法然聖人はこの御法よりも「他力の解釈」について善導大師を師として仰いでいたように思うのです。
だから流れとしての 善導大師ー法然聖人ー親鸞聖人 は他力のとらえ方の流れであって、御法の流れは「善知識から善知識」に直接伝わってきたのではないか?と思ったのです。
阿弥陀経に記述のある「千二百五十人倶」が直接釈尊から一念帰命を受けた人数であり、そのあと「衆所知識」として書かれている十数人が第二代の善知識ではないか?と理解しております。
だからその後の二千年以上にわたっては奇跡としか思えないことですが、ずっとこの「知識から知識」への伝授が続いてきたとおもうのですが、、、。
ご教授ください、と書いたのはボン様にだけお聞きしたのではなく、どなたでも結構ですので教えてください、あるいはご意見ください、という意味です。
よろしくお願いします。
南无阿彌陀佛
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[ 1493 ] Re9:教義について Part2
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2009/05/07 (Thu) 13:43
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酒天童子様 夢告は夢告として素直に受取られるので良いのではないでしょうか?伝説として。。。 宗祖の夢告のお話もあることです。 順序はどなたかが勘違いしたとすれば・・・
釋尊も龍樹菩薩の出生の予言もしてございます。
又日本の聖徳太子の出生のお話も聞いた事があります(中国での予言)。 (それが関係した六角堂の秘仏と承っています)
>だから流れとしての 善導大師ー法然聖人ー親鸞聖人 は他力のとらえ方の流れであって、御法の流れは「善知識から善知識」に直接伝わってきたのではないか?と思ったのです。
>だからその後の二千年以上にわたっては奇跡としか思えないことですが、ずっとこの「知識から知識」への伝授が続いてきたとおもうのですが、、、。
その通りだと思います。自力聖道門が盛んな時には、こっそりと隠れていた事を「龍宮に
籠(こもる)」と聞いています。(浦島の龍宮のおとぎ話もこんな処からかと思います)
釋尊から約600年後の龍樹菩薩を眞宗では七高僧の始祖としています。これも不思議ですが
この間も正法はキチンと誰から誰へと附属されていたのです。(龍樹は13代目です)
私も一時は気になった時もありましたが、今は全く執着しなくなりました。
何故かと云うと六要鈔の漢文すら(日本人の存覺上人の著されたものなのに)なかなか
難しいのが現実の自分です。ですから約三万六千字も書かれているという、そういう
お経を何処で探して読み解くのか、考えただけでも自分には不可なのです。
伝説は伝説として、次第相承された他力法として素直にうけとめるので宜しいのでは
ないでしょうか。おかげさまで、書き込みしながら正像末和讃を拝読しています。
合掌 ナムアミダブツ 南無阿弥陀仏 南無阿彌陀佛。
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[ 1494 ] Re10:教義について Part2
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2009/05/07 (Thu) 15:04
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忍草様
こんにちは酒天童子です。 >夢告は夢告として素直に受取られるので良いのではないでしょうか?伝説として。。。
そうですね。伝説の真偽を追求しても仕方ないですね(笑)。
>又日本の聖徳太子の出生のお話も聞いた事があります(中国での予言)。(それが関係した六角堂の秘仏と承っています) >自力聖道門が盛んな時には、こっそりと隠れていた事を「龍宮に籠(こもる)」と聞いています。(浦島の龍宮のおとぎ話もこんな処からかと思います)
これら、ちょっとだけ聞いたことがありますが、詳しくは知りません。いずれ詳しい方にお聞きできると嬉しいです。
>六要鈔の漢文すら(日本人の存覺上人の著されたものなのに)なかなか難しいのが現実の自分です。ですから約三万六千字も書かれているという、そういうお経を何処で探して読み解くのか、考えただけでも自分には不可なのです。
法然聖人は一切教を5度、読破したと聞いたことがあります。 あれほど才にあふれた聖人でも「気づかなかった」そうですから、そうですね。仰るとおりです。
お経群はまるで小説のダビンチ・コードのようなものかもしれないとは「フッ」と考えたことはあります。
勉強になりました。ボン様、忍草様、考えるきっかけを与えて頂きありがとうございます。
南无阿彌陀佛
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[ 1495 ] Re11:教義について Part2
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2009/05/07 (Thu) 17:25
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酒天童子様
>お経群はまるで小説のダビンチ・コードのようなものかもしれないとは「フッ」と考えたことはあります。
おもわず書き込み致します。
私がこの道探している時、丁度この映画が上映されていた時期だと思います。
私は、善知識とは富山におられるお一人だと聞いてきましたので、上記のような思いをしました。
お経もすごいと思いましたが、浄土真宗って不思議だなと思いました。
こんなことが信じられることが、やっぱり世間の人から見たら、変だと思われても仕様がないのかなと思います。
ですから、私は最近はいつもこう思っています。
この毎日の浄土真宗で色々語りあっている人達はやっぱり稀な人だろうと思います。
パソコンも壊れ、ようやくちょっと時間が出来たので、開けて見ての感想を書きました。
色々、興味あるお話お聞きできて、とっても有難いです。
きっと、これも阿弥陀様のおはからいのうちなのだと思います。
ここで、御縁頂いている皆様に感謝です。
どうも皆様有難うございます。
南无阿彌陀佛
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