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[ 1198 ] 小川独笑居士のお言葉のここが好き
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2009/03/28 (Sat) 07:50
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仏説には不信無信の者には法を説かず。
不法器衆生のためには説かずとある。
いかに仏の金言ても無縁無信者はいかに説くも利益はない。
されば筆記も一言するも同縁同心の為にするものとすれば安きである。
それにそふ書きそう言ふて別解の人や反対の人にしらしょうわからしょうとつとむる心は駄目である。
それで少々書きこそないありても同心同縁の読むときはよろこぶ。
いかに仏の直説を書いても不同心無縁の人の読むときは利益はない。
強いて云うとかへりて反動力をおこしそしりをもなすとは仏聖者の遺訓である。
つづく
南无阿彌陀仏
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[ 1200 ] Re1:小川独笑居士のお言葉のここが好き
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2009/04/01 (Wed) 00:09
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文字もしらぬ人は説教もせず役員にもならず。
名聞利勝の権識もなく仏の戒むるところの名利勝我慢勝他依人依法の分別心は生まれつきないのである。
ただ本願を信じて念仏を一心一向にまふして往生を期する。
これこそ本願相応としてまことのこころなりけるをと宗祖のほめたまふことなりと予は信じます。
無智無文の人の念仏するに対して予のはぢ申すはこれであります。
西岸に向えば一切は糟粕(そうはく)である。
若し西岸に向わぬ人読む時は種々の別解をおこし容易に同心はできぬは当然である。
数百千年の後でもたまたま同縁の人ありてよろこぶことあらばそれでよいのである。
現在の人に強いて同心をいそぎ求むる心配はありませぬのである。
糟粕としるすを怪しむ者もありましょ。そしる人もありましょ。
たまたまはよろこぶ人もありましょ。読む人にまかせてよかろうです。
つづく
南无阿彌陀仏
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●re.2
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毎日 |
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[ 1203 ] Re3:小川独笑居士のお言葉のここが好き
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2009/03/28 (Sat) 01:22
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毎日様
こんばんは
実は「味わい」の場所に書こうと思って間違えました。
小川独笑居士は百年後の人に読んでもらえればと書かれていましたので、時の流れはありますが、真宗はこのように受け継がれていくようで、少しでも有縁の人に読んで頂けたら有難いですね。
少しづつ書いていけたらと思います。
お休みなさい。
南无阿彌陀佛
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●re.4
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毎日 |
非公開の非公開 |
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[ 1205 ] Re4:小川独笑居士のお言葉のここが好き
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2009/03/28 (Sat) 01:35
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菩提心 様
小川独笑居士様の御本は、数冊国会図書館のサイトで読みました。
まさか、そのようにして受け継がれてゆくとは、実に不思議なことであると思います。
真実の小川は、ちょろちょろとでも、絶えることなく、止住百歳まで、流れてゆくのでしょうね。
お休みなさい。
南无阿彌陀佛
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[ 1206 ] Re5:小川独笑居士のお言葉のここが好き
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2009/03/28 (Sat) 06:29
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仏教は此の世界を的とせず十方微塵世界を統貫する法なるが故に人寿と云えば八万歳より人寿十才に達するを以てす。
故に仏の所説は加減せず仏説のまま十才の時にいたるも変更せざるを仏法とす。
此ゆえに人数の多きを繁盛とせず一人とも信心決定あるを繁盛する所以これなりとする。
五大州中にて一人信心決定する人を得るとせば甚だ少数とす。
一人とは此一世界に限る時は少数といへども此一人は生死をはなれて無上覚の仏境界にいたり。
十方世界の中何れの世界なりとも有縁の衆生をすくう釈迦牟尼仏の如くにて利益衆生はきはもなしと云いたるを期するものとす。
此一世界を目的にあらずと云うこれなり。
此のゆへに仏説いて云一人信ずれば其功徳无量无辺不可思議にして凡夫の知るところにあらずというこれなり。
されば五大州中の人員のこらず讃歎するの多きも一人の信心決定する人をうるに及ばざること比すべきにあらずとす。
人数の多く集るを仏法繁盛と云わず云々これなり。
人数の多く勢力のつよきは仏法衰微のしるしと説きたまふことなり。
此のゆへに仏法は金銭を必要主とせず信心を必要と説かれたり。
つづく
南无阿彌陀佛
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[ 1207 ] Re6:小川独笑居士のお言葉のここが好き
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2009/03/28 (Sat) 07:25
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信心と云うは、色もなく形もなく姿もなきなり。
信心は言説に説き述ぶといへども信心の真体は見るべきものに非ず。
その無形の信心を言説の中に伝心するものなり。
禅宗はその奥を云うてその伝うべき言説を強いて欠くものなり。
その信心は容易に得がたきものの如くなれ共深信すれば易きものなり。
疑いを除去するばかりなり言説すべきものなり。
自力法は行の成就によりて決定するがゆえに難きなり。
他力は阿弥陀如来の願力によりて決定するが故に易きなり。
又行の久近を不問が故に易きなり。信ずる故に易きなり。
疑いなきゆえに易きなり。摂取不捨は真実なるゆえに易きなり。
行者の分別智恵を要せざるゆえに易きなり。行者のはからないなきゆえに易きなり。
願力に住するがゆえに易きなり。御誓ひの違ひなきゆえに易きなり。
此のゆへに大師は難は疑情なり。易きは信心なりと対言したまへりしるべし。
つづく
南无阿彌陀佛
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[ 1219 ] Re7:小川独笑居士のお言葉のここが好き
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2009/04/01 (Wed) 00:10
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人生今古(こんこ)一人も死後還り告ぐるものあらず、仏法中にて即身是佛とか浄土に往生とか地獄にゆくとか、亦外教者独一神の処に生るとか無神説とか造物や自得や一般の宗教者同じく死去す、一人もきたるものはあらず。
いかに人生観をきはむるも生死の前後を知るに由なし、否云うとも浄土地獄にも見るにも非ず、亦造物独神の処に往来するにもあらず、自我想像理想分別の外はないのである。
さればたとひ是と定むるも未来世に是やら非と定むるも冥路にて非やら邪やら正やら未来世たよりも音信もあらず。
世界中の人を一所に会し百年千年計量しつくすも未来世冥路の是非も邪正も分ぬ此身とは世界中の人を一束して平等に是非知らぬ者とす。
故に云超然無碍一大決心の第一となす是なり、かよふに平等に不知と決心のうへは人々有縁の法によて冥路趣向の決心するに仏法あり、神道あり、造物説あり、無神説あり、人生観説あり、この外幾多の教法あり。
又一人も未来世より帰り告ぐるものもなく、たよりもあらず全く知るべからざるは未来世冥路なり。佛は未来世の見る法をときおかれてあれども修行かなはねば見るに由なし。
是とするも非とするも未来世にて是なるや非なるやたよりなければ定べからず、これ予の是非も邪正も分ぬ此身とする所以これなり、かく申すも佛智なり師教正受の恩到なり。
茲に於いて仏法を信じて死するもあり、造物独一神を信じて死するもあり、この外縁にしたがひ各々信じて死するあり、全く無宗無信にて死するあり、亦一仏法中に於いて数多(あまた)に分れ各々有縁の法によて死するのである。
何れにも自心に定むることのかなはさるを知て有縁の教法によて信行しおはる外はないのである。
自心に定ることかなはぬと決するうへは未来世に趣くところたとひ地獄なりとも我が有縁の法によて大決心し信行して死せんとするの外はないのである。
何宗何教何法と云はず教法に依て未来世冥路に趣かんと願ふものはこの大決心を要とすべきか。
一仏法中におきても法法無量又一法に無量の義ありゆえに受くるもの無量に分ると説いてある。
又仏法無縁の地ならば仙人の説にても聞て心識の帰着を定むべしと仏は説いてある。
又未来世冥路趣向全く知らずと知るものは信心堅固にしてうごかすと仏は説いてある。
何教何法といはず教法によて未来世趣向の決心を得んと欲するものは聖人の決信にあらずんば能はざるものとするは予の妄想不知の見識とす。
故に云う世に超然無碍の一大決信であると奉賛する是なり。但し仰信は此の限りに非ず。
仏法中にして愚陋は念仏の一法有縁のものにして佛の教によて源空聖人の教えに信順し無智のものに同し一向に念仏して了るものなり。
大決心におきては親鸞聖人の一大決心に順奉したてまつり西岸を期するものなり、あなかしこあなかしこ。
つづく
南无阿彌陀佛
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[ 1220 ] Re8:小川独笑居士のお言葉のここが好き
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2009/04/01 (Wed) 00:12
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○自心を試る事
自心に富貴を愛する者は富貴の人を怖れ尊ぶ也。
自心に智恵を尊ふ人は智者を尊ふるもの也。
自心に学問を尊ふ人は人の学問を尊ふ也。
自心に諸技を尊ふ者は人の技術を尊ふ也。
自心に富貴学問智恵諸技術を尊ばさる人は人の富貴学問智恵諸技をば尊ばざるもの也。
此人富貴学問智恵を捨てて自ら尊ばさるゆへに此人自心に何を尊ふや、愚者は自ら尊ふゆへに愚人の信じて念仏申す人を尊ふもの也。
其ゆへは自心に愚となりて本願を信ずるばかりにて念仏申すを自心に尊ふゆへに人の念仏申す人なればいかなる愚人なりとも尊ふなり。
自心に尊ぶゆへに人をも尊ふ也。凡そ自心に尊ぶところを尊ぶものなり試みてしるべし。
つづく
南无阿彌陀佛
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[ 1221 ] Re9:小川独笑居士のお言葉のここが好き
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2009/04/01 (Wed) 00:16
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いかに美食といへども病重者の口に味わいなし、如何に良薬たりとも無病者に効なしと云うが如し。
いかに妙法と云へど無縁の人に益なし。
いかに妙理と云うとも理に入らざる人の為にはそらごとたはごとなり。
名薬は病に薬となる、無病者にして飲むも薬とならず、薬とは病を治するの名なり。
名理名法亦然り、縁ある人に用れば名理とも名法ともなる。
名理妙法とは有縁信者の利益を得るの名なり。
無縁の人見聞するときは却て毒となる。無病者の薬を服するが如し。
つづく
南无阿彌陀佛
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[ 1222 ] Re10:小川独笑居士のお言葉のここが好き
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2009/04/01 (Wed) 00:50
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行者の心中のよからんともあしからんとも分別せざるゆへに易き也。
行者の機のままにてつくろひ、めでたくするにあらざる故に易きなり。
煩悩の有るままに心中に往生心を生ずるゆへに易きなり。
信心を願求するには行者の心中のままにて少しも取りつくろはす、無智者は無智者なり、愚者は愚者なり、学者は学者なり、不学者は不学者なり、学者の分別の智をも要せず、又愚智者之不知を不足ともせず、行者の機の侭なるゆえに易きなり。
さらに行者の心中に心を止むるにあらざるゆへに易きなり、是を他力というなり。
ただ願力を憑み本願を仰で信ずるばかりなり。
行者の心中に得るなり、行者の心に求めず、願力に乗じて却て心に得るなり。
さればこそ凡夫の機のうえにたもつところに佛智をつのらんより外凡夫何の得分あるべきやとなり。
ただ本願の阿弥陀如来のたすけたまふことをよろこぶを得たとは云うなりとなり。
されば一大事と云う人あらば此人に同心あるべき由仰せ候となりしるべし。
南无阿彌陀佛
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