浄土真宗の教義について

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[ 1091 ] 即横超截五悪趣(六要鈔) 2009/03/20 (Fri) 01:31 △up ▽down
◎獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣。

〇「獲信」以下の三行六句は、これ念仏真実の行者の信心の勝利を顕わす。聞法不忘見敬大慶(法を聞きて能く忘れず。見て敬い得て大きに慶ぶ)は三十偈の文なり。当巻の初にこれを引用せらる。故に釈を出ださず。聞法の本意は信心を発こすに在り。故に「獲信」という。「即横」等とは、「必得超絶去(必ず超絶して去〈すつ〉ることを得て)」等の文の意なり。「五悪趣」とは、これ五道なり。浄影師の云わく「今これは弥陀の浄刹に約対して、娑婆の五道を斉しく悪趣と名づく。地獄・鬼・畜は純悪の所向なり。名づけて悪趣と為す。娑婆の人天は雑業の所向なり。また悪趣と名づく。もしこの方にして修習断除するに依らば、まず見惑を断じて三塗の因を離れ、三途の果を滅す。後に修惑を断じて、人天の因を離れ、人天の果を絶つ。漸次の断除なれば横截と名づけず。もし弥陀の浄土に往生することを得れば、娑婆の五道は一時に頓に捨つ。故に横截と名づく」已上。義寂師の云わく「もし穢土に就きては下の三を悪と為し、人天を善と為す。今、浄土に対しては、五をみな悪と名づく。一たび往生を得れば、五道頓に去〈す〉つ。故に横截という」已上(六要鈔)


通常、天界は、「良いところ」とされます。

また、人界も、再度来たりて、修行してゆく場所とされます。

だからこそ、「娑婆の人天は雑業の所向なり」。

ですけれども、この道におきましては、人天も悪趣とされます。

三途のみならず、人天も輪廻の世界であるが故に、悪趣とされるからこその五悪趣です。


五道が六道と違うのは、阿修羅界を分けずに、地獄界に入れているところです。(この記述は、間違いです。下の書き込みをご参照ください。)


だからこそ、

◎されば五道・六道といへる悪趣にすでにおもむくべきみちを、弥陀如来の願力の不思議としてこれをふさぎたまふなり(御文章2-4)

このように、蓮師は、わかりやすく説いてくださっているのであると思います。

南无阿彌陀佛

●re.1
毎日
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[ 1132 ] Re1:即横超截五悪趣(六要鈔) 2009/03/20 (Fri) 01:31 △up ▽down
金剛心 様

こちらのスレッドは、金剛心様の五道閉のお話から連想してお書きしたものですが、非難的になることを恐れ、お名前を出さなかったのでございます。

五悪趣が「地獄・鬼・畜・人・天」でありますこと、明確に説かれていると思います。

六道と申しますときには、修羅を加えるわけですが、

◎五趣と立つる時は、修羅の中に勝るる者を天に摂し、劣なる者を鬼に摂す(六要鈔)

とございます。

以前、修羅をどこに合わせるかについて、地獄と書いた記憶がございます。それは私の間違いでした。(書き込みを探すことができましたら、訂正したいと思います。)(探しましたら、直上にありました!)

このように、御高説を拝するによりまして、私の間違いが実際に正されて参ります。ありがたいことです。感謝しております。

南无阿彌陀佛



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