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[ 990 ] 宿善について2
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2009/02/08 (Sun) 16:55
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あるがままです。こんにちは泥凡夫さん、お詳しい説明有り難うげざいました。 もしも、過去のブログの読み違いでしたら申し訳ありません。泥凡夫さんは宿善の種まきによってというお言葉を使われていましたが、 宿善なんてものは自分ではどうしょうもできないんではないんでしょうか? もし出来ると思えばそれは自力の働きになるんではないですかね。
親鸞証人の残した言葉に『去るべき業縁の催せば、如何なる振る舞いもすべし』という言葉がありますが、まさに人生はその通りだと思います。自分で計らっても計らってもどうにもなりません。他力という不思議に任せるしかないのではないでしょうか。任せるといっても自分の知恵、経験、意識などに従って任せるという意味ではありませんのでお取り違いないように宜しくお願い致します。
何か少し支離滅裂な文章になりましたが宿善の種まきという、何か過去決定論的な言い回しに疑念をいだきます。
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[ 991 ] Re1:宿善について2
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2009/02/11 (Wed) 18:53
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あるがまま 様
こんばんは。 >泥凡夫さんは宿善の種まきによってというお言葉を使われていましたが、宿善なんてものは自分ではどうしょうもできないんではないんでしょうか?もし出来ると思えばそれは自力の働きになるんではないですかね。
懐かしいですね。正確にどのように書きましたか覚えておりませんが、恐らく、過去世の種まきの結果、今生における宿善が決まる。というようなニュアンスだったと思います。であるならば、現在、自分でどうのこうの計らうことは自力であると言えると思えます。だからといって、宿善・無宿善の機というものをまったく無視して良いということにはならないのであります。
>親鸞証人の残した言葉に『去るべき業縁の催せば、如何なる振る舞いもすべし』という言葉がありますが、まさに人生はその通りだと思います。自分で計らっても計らってもどうにもなりません。他力という不思議に任せるしかないのではないでしょうか。任せるといっても自分の知恵、経験、意識などに従って任せるという意味ではありませんのでお取り違いないように宜しくお願い致します。
歎異鈔13条のご引用でございますね。いわゆる往生のための造悪に対する戒めと共に、本願をたのみとした行者に対して、罪を障りと思う必要のない旨が記されておりますね。
『「卯毛羊毛のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずということなしとしるべし」』と13条にはございますように、些細な罪も過去世の種まきの結果現れることであると申されております。故に、大量殺戮を行おうと思っても、過去世の因がなければ行うことができず、するつもりは無くとも、過去世の因があれば行ってしまうということでございます。自分の過去世の因がどういったものであるのか知る術がない以上、何をやらかすか分からん危ない存在であるということであります。
他力に己の往生を任せた以上、往生の一段にとりましては、己の行いの良し悪しを是非する必要はございません。ただし、他力というのは、あくまでも往生の一段に対する言葉であります。現実問題、人生は後悔と懺悔の繰り返しでございまして、いくら往生に障りがないからとて、己の行いによって他者が悲しむ結果になることは数え切れんわけであります。そういう己を恥じることはとても大事なことであると思います。
南无阿彌陀佛
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[ 993 ] 宿善と仏教
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2009/02/08 (Sun) 22:21
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今晩は泥凡夫さん。あるがままです。 泥凡夫さんの見解は承知しました。
しかし、本来、仏教では過去世などについて言わないのではないですか?過去世などを持ち出すと、まさに輪廻転生があると仰ってるように思えます。仏教は輪廻転生とは関係がないのに、関係があると思ってる方もいますよね。
御釈迦様も死後の世界などについては答えなかったそうですよ。泥凡夫さんは宿善のこと以外に関しては非常に仏教に精通しておるようですが、何か宿善のことに関しては、新興宗教的な所がある感じがします。 宿善とは真宗では弥陀の救いに会う前の事をいうんではないんでしょうか?
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[ 995 ] Re1:宿善と仏教
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2009/02/08 (Sun) 23:37
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あるがまま 様
>しかし、本来、仏教では過去世などについて言わないのではないですか?過去世などを持ち出すと、まさに輪廻転生があると仰ってるように思えます。仏教は輪廻転生とは関係がないのに、関係があると思ってる方もいますよね。
あるがまま様が真宗のご説法をどちらでご聴聞であったのか分かりかねますが、己の過去世がどうであったのか知らんということと、過去世など存在しない。ということとはまったく異なるテーブルでございます。輪廻など関係ないのであれば、己の後生の行き先など気にする必要もございませんし、死後の心配などする必要もありません。
輪廻というのは、まさに我等が流転してきた車輪でありまして、これを自力で断ち切ることは至難であり、到底我等では及ばん故に、弥陀の誓願をたのみとするのではないかと思います。無始以来、無限に近い時間を彷徨ってきたのが我らなのでございます。
三帰依文において、『人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。』とありますように、人間に生まれることは天上界から糸を垂らして地上の針の穴に通すよりも難しいと言われます。そしてこの度、聞くこと難しい仏法を聞かせて頂き、今生においてわが身の流転の根源を断たねば、次にいつの世において断つのか。とございます。
御開山の信巻に『必ず超絶して去つることを得て、安養国に往生して、横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉じん。道に昇るに窮極なし。往き易くして人なし。その国逆違せず。自然の牽くところなり。』とございますが、これは大経の『横截五悪趣 悪趣自然閉』を引かれた部分になります。まさに流転すべき車輪を断ち切って頂くわけであります。
「大経」にはご存じの通り、過去世における数多くの諸佛のご出世が記されており、釈尊ご自身の因位のお名前も出てきております。
>御釈迦様も死後の世界などについては答えなかったそうですよ。
どなた様からそのように聞かれたのか分かりかねますが、釈尊は形而上学を語らなかったという説を根拠とされておるのでしょうか。死後の世界などないのであれば、極楽浄土を信じ往生を願う必要はないように思われます。
>泥凡夫さんは宿善のこと以外に関しては非常に仏教に精通しておるようですが、何か宿善のことに関しては、新興宗教的な所がある感じがします。宿善とは真宗では弥陀の救いに会う前の事をいうんではないんでしょうか?
お恥ずかしい次第でございますが、仏教に精通などしておらんのであります。ただ、祖師方の残されたご聖典を紐解かせて頂いておるだけに過ぎないのであります。私が誤っておることも多々あろうかと思いますが、そのあたりは筆不精の身ですのでどうかご容赦下さい。
新興宗教のような感じを与えてしまっておるのですね。誠に申し訳ない次第でございます。ただし、新興宗教が良いのか悪いのかは私は存知致しません。宿善とは第十八願を頂く前の機を指すと言えばそれは間違いはないと思います。いよいよ第十八願を聞き開くには宿善開発の身となり、善知識に逢い、第十八願をわが身に頂くわけでございます。
南无阿彌陀佛
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●re.4
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毎日 |
非公開の非公開 |
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[ 997 ] Re2:宿善と仏教
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2009/02/08 (Sun) 23:56
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あるがまま 様
横から失礼致します。
あるがまま 様が、何をもって仏説としているかはわかりませんが、たとえば、『原始仏典』(春秋社)第5巻には、「良き在家信者の転生先」として、次のようなものがあげられております。
兜率天 楽変化天 他化自在天 梵身天 光天 少光天 無量光天 光音天 浄天 少浄天 無量浄天 遍浄天 広果天 無煩天 無熱天 善現天 善見天 無劣天
こちらの掲示板の過去ログにも記載がございます。
南无阿彌陀佛
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[ 998 ] 宿善について認識
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2009/02/09 (Mon) 01:28
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泥凡夫さん。遅くに失礼致します。泥凡夫さんの仰ってること凡そ理解できました。
僕が泥凡夫さんの過去の宿善に対するブログを曲解してました。申し訳ないです。僕は過去世とはよく、あなたは昔、相当に人をたくさん殺して来たから今の人生で、苦しむのであるとかいう世間一般的に言う捉え方をしていました。
もし、泥凡夫さんがそういった意味で宿善をお使いになっていたなら、かなり疑念を未だに抱きますが、そうではないので疑念が消えました。
それから御釈迦様の死後についての事は形而上的なものです。これも僕の早合点のようでした。
何か僕の方こそ、筆不精で理解力が悪くて申し訳ないです。新興宗教的という言い回しも、申し訳なかったです。泥凡夫さんがテレビで江原啓之などが言う過去世と捉えてないようなので、泥凡夫さんの言うことをしっかり受け止められました。 しかし、過去世とは拡大解釈して捉える方が結構いると思うので、分かりやすく丁寧に説明しないと理解されがたいだろうとは思います。
まったく話が変わりますが泥凡夫さんは一体普段は何をされてる方なんですか?何故に真宗にそこまで御詳しいか非常に興味があります。
それから泥凡夫さんの心に用事なしと言う言葉、僕は大好きです。今まで僕が生きて来て、その言葉を仰った方は泥凡夫さんあなたが二人目です。どんなに仏教に精通していようが、また医学や心理や哲学や福祉などの世界に精通していようが、皆さん、心が大事だから心を一番大事にしなければならないと仰います。 僕はその事にいつも疑問をもっていましたが、泥凡夫さんのように心に用事がなく、信は弥陀より賜るものと仰る方に出会えて嬉しいです。
今から僕が言うことは自力の計らいになるかもしれませんが、もしかしたら、泥凡夫さんが僕の善知識なのかもしれないと思っております。今迄は真宗の教えに疑いを持っている点が多く素直に話を聞きたくないという反発があった僕ですが、何故か泥凡夫さんの話は全てがと言えば嘘になりますが、大方の話に聞き入ってしまいます。不思議です。また変な質問をするかもしれませんが、今後とも宜しくお願い致します。
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